生 : 1835年10月9日(フランス王国、パリ)/没 : 1921年12月16日(仏領アルジェリア、アルジェ)
シャルル・カミーユ・サン=サーンス (Charles Camille Saint-Saëns) はフランスの作曲家。代表作に『動物の謝肉祭』などがある。
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生涯 | Biography
カミーユ・サン=サーンスは1835年10月9日、父ジャック・サン=サーンスと母クレマンス・コランの間に生まれた。ノルマンディー地方の農家の子孫である父は内務省の官僚であり、1834年にクレマンスと結婚した。父ジャックはカミーユ・サン=サーンスの生後わずか3ヶ月で死去。カミーユは結核のため2年間の療養生活を送った後、母方の家庭で育てられることとなった。そこで3歳の頃からピアノを習い、若干10歳にしてパリのサル・プレイエルでピアニストとしてデビューを果たした。演目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番およびモーツァルトのピアノ協奏曲第15番。このときサン=サーンスはすべての曲目を暗譜で演奏したが、当時としては異例のことだった。
サン=サーンスはピエール・マルダン (Pierre Maleden) から作曲を学んだが、彼を比類なき教師だったと認めている。サン=サーンスの早熟は多分野に渡った。フランスの古典や宗教、ラテン語やギリシャ語を習得したほか、数学や自然科学、とりわけ天文学や考古学、そして哲学に親しんだ。サン=サーンスが自作曲の著作権で500フランを得た際、彼はその金を使って天体望遠鏡を買ったという。
1848年、サン=サーンスはパリ音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。オルガン科でフランソワ・ブノワの指導を受け、1851年グラン・プリを獲得する。同1851年よりリュドヴィク・アレヴィに作曲および管弦楽法を習い、また伴奏や歌唱の方法も学んだ。
音楽家としてのキャリアをピアニストおよびオルガン奏者から開始したサン=サーンスは、バッハやラモー、ワグナーやリストを好んで演奏した。ピアニストとしての成功のため作曲家としての評価は遅れ、ローマ大賞を逃している。しかしながら『聖セシルのための頌歌』は1852年ボルドーの聖セシル協会主催のコンテストで1位を獲得する。若くして頭角を現したサン=サーンスは、ポーリーヌ・ヴィアルドやシャルル・グノー、ジョアキーノ・ロッシーニやエクトル・ベルリオーズといった同時代の音楽家と交友関係を結び、また彼らの庇護を受けた。
当初サン=サーンスは交響曲や室内楽を多く作曲し、同世代のフランス人音楽家とは異なりオペラに関心を持たなかった。しかしながらコンセルヴァトワール時代の師であるアレヴィの影響によりオペラに取り組むようになり、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドやシャルル・グノーの支援を受けた。1854年パリに取材したオペラ・コミックの制作に取り掛かるが、後に放棄。ジュール・バルビエ発案によるオペラの序曲も作曲したが、結局これも半世紀以上が経過した1913年まで完成を見ることはなかった。
1853年、サン=サーンスはパリのサン・メリ教会のオルガニストに就任した。同教会のガブリエル神父に同伴して赴いたイタリア旅行が、サン=サーンスにとって生涯続く演奏旅行の最初のものだった。続く1857年にはパリのマドレーヌ寺院のオルガニストに就任し、サン=サーンスはこの職を1857年まで20年に渡って務めた。フランツ・リストはサン=サーンスの演奏を聴き、彼を世界一偉大なオルガニストとして称賛している。オルガン演奏はこの時期のサン=サーンスにとっての主要な職務であり、作曲の多くも宗教音楽だった。1857年には交響曲『ローマ』により再び聖セシル協会のコンテストで賞を獲得した。もっとも、彼自身は必ずしも信心深いキリスト教徒というわけではなかったという。この時期サン=サーンスはクリストフ・ヴィリバルト・グルックの全集の編纂に協力し、またベートーヴェンやリスト、モーツァルトの作品の校訂版の編集も行った。
この期間もサン=サーンスは歌劇に対する関心を維持していた。とりわけリヒャルト・ワグナーを好み、『タンホイザー』や『ローエングリン』に年長者が眉をひそめたのに対し、彼はこれを擁護した。1860年から1861年にかけてのワグナーのパリ滞在時期、『ローエングリン』や『トリスタンとイゾルデ』、『ラインの黄金』を作曲者の目の前でピアノで演奏する機会を得た。ワグナーへの酔心はその後も続き、1869年にミュンヘンで『ラインの黄金』を、1876年には第1回バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環』を聴く。
サン=サーンスの生涯の中でも1860年代初頭は充実した期間だった。ピアニストとしての名声を高め、『スパルタクス』序曲はまたも聖セシル協会から授賞された。1867年、パリ万国博覧会に際して作曲されたカンタータ『プロメテの結婚』が万博の審査会で表彰される。このときの審査員にはロッシーニやオーベール、ベルリオーズ、ヴェルディ、そしてグノーが含まれていた。こうしたサン=サーンスの成功からグノーは彼をして「フランスのベートーヴェン」と形容している。
ところが1863年、サン=サーンスはローマ大賞をまたも逃してしまう。そこでコンセルヴァトワール院長のフランソワ・オーベールはテアトル・リリック支配人のレオン・カルヴァロに依頼し、サン=サーンスのためにオペラ台本を依頼する。カルヴァロはバルビエとミシェル・カレによる『銀の音色』を提供した。この作品をサン=サーンスは1、2年で完成させるが、劇場側との行き違いもあり、初演にはそれから10年以上の歳月を要した。次のオペラ『サムソンとデリラ』もほぼ忘却されかけ、1872年にオペラ・コミック座で初演された『黄色い王女』もさしたる成功をおさめることはできなかった。この『黄色い王女』で共同作業を行った作家のルイ・ガレとは、1898年にガレが亡くなるまで交友を続けた。
1861年から1865年にかけて、サン=サーンスはパリのエコール・ニデルメイエールで教鞭を執る。生徒の中にはガブリエル・フォーレやアンドレ・メサジェ、ウジェーヌ・ジグーの姿もあった。
1870~1871年の普仏戦争とパリ・コミューンによる政治的混乱の中、1871年にサン=サーンスはコンセルヴァトワールの同僚ロマン・ビュシーヌと共同で国民音楽協会を創設する。「ガリアの芸術」(Ars Gallica) をスローガンとするこの協会には、書記を務めたアレクシス・ド・カスティヨンのほか、ガブリエル・フォーレやジュール・マスネ、セザール・フランク、エドゥアール・ラロといった音楽家が参加し、フランス人音楽家の作曲・演奏活動を振興した。プロイセンとの戦争における屈辱的敗北の後、フランスでは対独ナショナリズムが高揚したが、サン=サーンスもその例外ではなかった。当初ワグナーを好んでいた彼は、次第に様式的ないし愛国的要因からこれを避けるようになる。
1870年代初頭、サン=サーンスは『ルネサンス・リテレール・エ・アルティスティック』(文学と芸術の復興)や『ガゼット・ミュジカル』、『ルヴュ・ブルー』といった文芸誌に複数の記事を掲載し、ヴァンサン・ダンディに代表される従来の音楽様式を批判した。1876年、バイロイトを訪ね『ニーベルングの指環』を鑑賞したサン=サーンスは、『レスタフェット』(L’estafette) 誌に7本の長文記事を執筆し、『ル・ヴォルテール』誌に「ハーモニーとメロディ」と題する連載を執筆した。また第一次世界大戦の始まる1914年には「ドイツ贔屓」と題する記事を発表し、ワグナーに代表されるドイツ音楽の排除を訴えている。
1875年、サン=サーンスは当時19歳だったマリ=ロール・トリュフォと結婚する。しかしながらこの結婚は母親の反対にあい、また2人の子も相次いで夭逝するなど、幸せとは言えないものだった。サン=サーンスは妻に強く当たり、結局二人は離婚した。妻のマリ=ロールは1950年、ボルドー近郊のコードラン (Cauderan) にて95歳で亡くなっている。
その後数年間、サン=サーンスは交響詩や歌曲に専念する。1877年2月、テアトル・リリックにおいて『銀の音色』がとうとう上演される。このオペラの献呈を受けたアルベール・リボン (Albert Libon) は同1877年に死去し、サン=サーンスに10万フランを遺贈した。サン=サーンスはこの遺贈者のレクイエムを作曲し、1878年5月22日、パリのサン=シュルピス教会で演奏の機会を得た。さらに1877年末には『サムソンとデリラ』もワイマールで上演がかなった。これに自信をもったサン=サーンスはオペラの作曲に本格的に取り組むようになる。3、4年毎に作品を発表し、すぐに上演された。これは1911年『デジャニール』の千秋楽まで続いた。またリストが『サムソンとデリラ』を激賞したことが縁となり、1878年3月にパリ・イタリア座でリストの楽曲を演奏する。これがリストの交響詩のフランス初演となった。
サン=サーンスのオペラで歴史に取材した初の作品は、ルイ・ガレ (Louis Gallet) の台本による『エティエンヌ・マルセル』である。百年戦争期パリの英雄的な指導者を描いたこの作品は1879年リヨンで初演されたが人気はほどほどだった。続いてパリのガルニエ宮(オペラ座)より依頼され、シェイクスピアおよびペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカのリブレットに基づき制作した『ヘンリー8世』は1883年3月に初演され、大きな成功を収めた。しかしエドモン・アブの小説を原作としたオペラ・コミック『ギエリ』は制作後すぐに没とされた。ルイ・ガレがリブレットを書き、16世紀のフィレンツェを舞台とした『プロセルピーヌ』(1887年上演)など、歴史に題材をとったオペラを相次いで発表した。
1881年、サン=サーンスは芸術アカデミー会員に選出され、1884年にはレジオン・ドヌール勲章のオフィシエを受勲している。
オペラの相次ぐ成功により、1888年の母の死と相まって、サン=サーンスは次第に活動の場をフランス国外に移すようになった。1873年にアルジェリアを訪ねてから、お気に入りの旅先となる。ノルマンディ地方の港町ディエップに所領を移す。ディエップには1890年7月サン=サーンス博物館が開館している。この時期もサン=サーンスは執筆活動を続け、とりわけ『ルヴュ・ブルー』誌に「回想」と題する連載記事を執筆した。南欧や北欧、さらには南米、東アジアと演奏旅行を行った。
サン=サーンスが『動物の謝肉祭』の着想を得たのもオーストリアにおける休暇中だった。またロシアでは赤十字の後援を受け、サンクト・ペテルブルクで7回のコンサートを行っている。サンクト・ペテルブルクではチャイコフスキーと出会い、ニコライ・ルビンシュタインのピアノ伴奏により二人で即興のバレエを披露するという余興も行った。
1906年に初のアメリカ合衆国における演奏旅行を行い、フィラデルフィアやシカゴ、ワシントンでコンサートを行った。1915年には二度目の米国での興行を催し、ニューヨークやサンフランシスコで講演や演奏を行った。
サン=サーンスは1871年を皮切りにイギリスへ何度も赴き、ヴィクトリア女王の御前で演奏を行ったり、バッキンガム宮殿の図書館でヘンデルの手稿文書を閲覧するなどの活動を行った。1886年、ロンドン・フィルハーモニック協会の依頼で作曲した交響曲第3番は作曲者自身の指揮によりロンドンで初演され、1893年にはコヴェント・ガーデンで『サムソンとデリラ』のオラトリオ版を指揮した。1893年にケンブリッジ大学より、1907年にオックスフォード大学より名誉博士号を授与され、また1902年のエドワード7世の戴冠に際して行進曲を作曲したことで、ロイヤル・ヴィクトリア勲章のコマンダーを授与された。
1894年、サン=サーンスはオーギュスト・デュランの音楽出版社のためにラモー全集の編纂に携わった。1895年の『フレデゴンド』はオペラ座で上演されたが、これは失敗に終わる。サン=サーンスはオペラ座での活動休止を決める。代わって彼が活路を見出したのは南仏である。1896年にはフェルナン・カステルボン=ド=ボーゾスト (Fernand Castelbon de Beauxhostes) の招聘を受け、ベジエの野外劇場の再建に協力する。サン=サーンスはこの野外劇場で、地元の楽団「リール・ビテロワーズ」(Lyre Biterroise) などの演奏により、ルイ・ガレの『デジャニール』を上演した。フランス中から1万名以上もの観客が押し寄せたという。ベジエの野外劇場でサン=サーンスの作品は好意的に受け入れられ、1898年に劇場の音楽顧問に就任する。
他方、モンテ・カルロ歌劇場でも積極的に活動を行っている。モナコ大公アルベール1世の庇護を受け、支配人ラウール・ガンズブールの下で『エレーヌ』『祖先』『デジャニール』の3作を上演した。
1900年、パリ万国博覧会の依頼を受け、電力技術の発展を礼賛するカンタータ『天上の火』を作曲した。同1900年、サン=サーンスはフランスの最高勲章であるレジオン・ドヌールの「グラントフィシエ」を受勲し、また皇帝ヴィルヘルム2世によりドイツ帝国の功労勲章を受勲した。芸術アカデミー会長に就任する。
20世紀に入ると、サン=サーンスはエジプトやアルジェリアで過ごす機会が多くなる。1910~1911年の冬にかけて、アルジェの市立劇場では彼のオペラ5作品が上演された。カイロ滞在中の1913年にはレジオン・ドヌールの最高位である「グラン・クロワ」を受賞している。サン=サーンスはその後も自作曲の演奏や改訂を行いながら日々を過ごした。
1916年、南米における4ヶ月の滞在中、サン=サーンスは左手に麻痺を感じるようになる。彼は1921年8月6日、ディエップのカジノで行われたピアノコンサートを以て、自らの演奏家としてのキャリアに終止符を打つことを決める。同1921年8月21日、ベジエにおける『アンティゴネ』のリハーサルを以て、作曲活動からもリタイアした。
1921年12月、サン=サーンスはアルジェに戻り、同地で息を引き取った。フランスでは国葬が行われ、偉大な作曲家の亡骸はパリのマドレーヌ寺院に安置された。
サン=サーンスは生前、1万4千通の書簡、600枚の譜面、そして600冊の書籍をディエップに寄贈していた。パスツールやワグナー、プルーストの手紙をも含むこれらのアーカイブはフランス国立図書館により整理・電子化され、デジタルアーカイブ「ガリカ (Gallica)」にて公開されている1)Dieppe : la correspondance personnelle de Camille Saint-Saëns va rejoindre la bibliothèque numérique nationale Gallica。
作品一覧 | Works
作品番号あり
- Op. 1 3つの小品 3 Morceaux 1852
- Op. 2 交響曲第1番 変ホ長調 Symphony No.1 in E-flat major 1853
- Op. 3 6つのバガテル 6 Bagatelles 1855
- Op. 4 ミサ・ソレムニス Mass 1856
- Op. 5 タントゥム・エルゴ Tantum ergo 1856
- Op. 6 タランテラ イ短調 Tarantelle in A minor 1857
- Op. 7 ブルターニュの歌による3つのラプソディ 3 Rhapsodies sur des cantiques bretons 1866
- Op. 8 6つの二重奏曲 6 Duos for Harmonium and Piano 1858
- Op. 8bis Duo for 2 Pianos 1897
- Op. 9 祝婚曲 ヘ長調 Bénédiction nuptiale in F major 1859
- Op. 10 ホラティウスの情景 Scène d’Horace 1860
- Op. 11 小二重奏曲 ト長調 Duettino in G major 1855
- Op. 12 クリスマス・オラトリオ Oratorio de Noël 1858
- Op. 13 聖体奉挙 Élévation ou communion in E major 1858
- Op. 14 ピアノ五重奏曲 イ短調 Piano Quintet in A minor 1855
- Op. 15 セレナード 変ホ長調 Serenade 1866
- Op. 16 チェロとピアノのための組曲 Suite for Cello and Piano 1862
- Op. 16bis Suite for Cello and Orchestra 1919
- Op. 17 ピアノ協奏曲第1番 ニ長調 Piano Concerto No.1 in D major 1858
- Op. 18 ピアノ三重奏曲第1番 ヘ長調 Piano Trio No.1 in F major 1863
- Op. 19 プロメテの結婚 Les Noces de Prométhée 1887
- Op. 20 ヴァイオリン協奏曲第1番 イ長調 Violin Concerto No.1 in A major 1859
- Op. 21 マズルカ第1番 ト短調 Mazurka No.1 in G minor 1862
- Op. 22 ピアノ協奏曲第2番 ト短調 Piano Concerto No.2 in G minor 1868
- Op. 23 ガヴォット ハ短調 Gavotte in C minor 1871
- Op. 24 マズルカ第2番 ト短調 Mazurka No.2 in G minor 1871
- Op. 25 東洋と西洋 Orient et Occident 1869
- Op. 26 ペルシャの歌 Mélodies persanes 1870
- Op. 27 ロマンス 変ロ長調 Romance 1866
- Op. 28 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 Introduction et Rondo capriccioso 1863
- Op. 29 ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調 Piano Concerto No.3 in E-flat major 1869
- Op. 30 黄色い王女 La Princesse jaune 1872
- Op. 31 オンファールの糸車 Le Rouet d’Omphale 1869
- Op. 32 チェロソナタ第1番 ハ短調 Cello Sonata No.1 in C minor 1872
- Op. 33 チェロ協奏曲第1番 イ短調 Cello Concerto No.1 in A minor
- Op. 34 英雄行進曲 変ホ長調 Marche Héroïque 1870
- Op. 35 ベートーヴェンの主題による変奏曲 Variations on a theme of Beethoven 1874
- Op. 36 ロマンス ヘ長調 Romance in F major 1874
- Op. 37 ロマンス 変ニ長調 Romance in D-flat major 1871
- Op. 38 子守歌 変ロ長調 Berceuse in B-flat major 1871
- Op. 39 ファエトン Phaéton 1873
- Op. 40 死の舞踏 Danse macabre 1874
- Op. 41 ピアノ四重奏曲 変ロ長調 Piano Quartet in B-flat major 1875
- Op. 42 諸々の天は神の栄光をあらわし Coeli enarrant 1865
- Op. 43 アレグロ・アパッショナート ロ短調 Allegro appassionato 1875
- Op. 44 ピアノ協奏曲第4番 ハ短調 Piano Concerto No.4 in C minor 1875
- Op. 45 ノアの洪水 Le Déluge 1874
- Op. 46 ゲデオンの兵士たち Les Soldats de Gédéon 1876
- Op. 47 サムソンとデリラ Samson et Dalila 1877
- Op. 48 ロマンス ハ長調 Romance in C major 1877
- Op. 49 組曲 ニ長調 Suite in D major 1862-1863
- Op. 50 ヘラクレスの青年時代 La Jeunesse d’Hercule 1877
- Op. 51 ロマンス ニ長調 Romance in D major 1877
- Op. 52 6つの練習曲 第1集 6 Études for piano 1877
- Op. 53 2つの合唱曲 2 Chorales 1878
- Op. 54 レクイエム ハ短調 Requiem 1878
- Op. 55 交響曲第2番 イ短調 Symphony No.2 in A minor 1859
- Op. 56 メヌエットとワルツ Menuet et Valse 1872
- Op. 57 竪琴とハープ La Lyre et la Harpe 1879
- Op. 58 ヴァイオリン協奏曲第2番 ハ長調 Violin Concerto No.2 in C major 1858
- Op. 59 ハラルド・ハルファガール王 König Harald Harfagar 1880
- Op. 60 アルジェリア組曲 Suite algérienne 1880
- Op. 61 ヴァイオリン協奏曲第3番 ロ短調 Violin Concerto No.3 in B minor 1880
- Op. 62 演奏会用小品 ホ短調 Morceau de concert in G major 1880
- Op. 63 リスボンの一夜 Une nuit à Lisbonne in E-flat major 1880
- Op. 64 ホタ・アラゴネーサ La jota aragonese 1880
- Op. 65 七重奏曲 変ホ長調 Septet in E-flat major 1881
- Op. 66 マズルカ第3番 ロ短調 Mazurka No.3 in B minor 1882
- Op. 67 ロマンス ホ長調 Romance 1885
- Op. 68 2つの合唱曲 2 Chorales 1882
- Op. 69 ヴィクトル・ユゴーへの讃歌 Hymne à Victor Hugo 1881
- Op. 70 アレグロ・アパッショナート 嬰ハ短調 Allegro appassionato 1884
- Op. 71 2つの合唱曲 2 Chorales 1884
- Op. 72 アルバム Album 1884
- Op. 73 オーヴェルニュ狂詩曲 ハ長調 Rhapsodie d’Auvergne 1884
- Op. 74 サルタレロ Saltarelle 1885
- Op. 75 ヴァイオリンソナタ第1番 ニ短調 Violin Sonata No. 1 in D minor 1885
- Op. 76 ウェディング・ケーキ Wedding Cake 1885
- Op. 77 ポロネーズ ヘ短調 Polonaise 1886
- Op. 78 交響曲第3番 ハ短調『オルガン付き Symphony No. 3 in C minor (“Organ Symphony”) 1886
- Op. 79 デンマークとロシアの歌による奇想曲 Caprice sur des airs danois et russes 1887
- Op. 80 イタリアの思い出 ト長調 Souvenir d’Italie 1887
- Op. 81 アルバムのページ 変ロ長調 Feuillet d’Album 1887
- Op. 82 鼓手の婚約者 La Fiancée du timbalier 1887
- Op. 83 ハバネラ ホ長調 Havanaise in E major 1887
- Op. 84 戦士たち Les Guerriers 1888
- Op. 85 夕べの鐘 Les Cloches du soir 1889
- Op. 86 速歩 Pas redoublé 1887
- Op. 87 スケルツォ Scherzo 1889
- Op. 88 カナリアのワルツ イ短調 Valse canariote in A minor 1890
- Op. 89 アフリカ Africa 1891
- Op. 90 組曲 ヘ長調 Suite in F major 1891
- Op. 91 サッフォー風の歌 Chant saphique 1892
- Op. 92 ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Piano Trio No. 2 in E minor 1892
- Op. 93 サラバンドとリゴードン ホ長調 Sarabande et rigaudon 1892
- Op. 94 演奏会用小品 ヘ短調 Morceau de concert in F major 1887
- Op. 95 独奏ハープのための幻想曲 イ短調 Fantaisie for harp 1893
- Op. 96 アラビア風奇想曲 Caprice arabe 1894
- Op. 97 ピアノのための主題と変奏曲 Thème varié 1894
- Op. 98 女神アテナ Pallas Athéné 1894
- Op. 99 3つの前奏曲とフーガ 3 Preludes and Fugues 1894
- Op. 100 イスマイリアの思い出 Souvenir d’Ismaïlia 1895
- Op. 101 幻想曲第2番 変ニ長調 Fantaisie No. 2 in D-flat major 1895
- Op. 102 ヴァイオリンソナタ第2番 変ホ長調 Violin Sonata No. 2 in E-flat major 1896
- Op. 103 ピアノ協奏曲第5番 ヘ長調『エジプト風』 Piano Concerto No. 5 in F major (“Egyptian”) 1896
- Op. 104 可愛いワルツ 変ホ長調 Valse mignonne 1896
- Op. 105 子守歌 ホ長調 Berceuse 1896
- Op. 106 英雄的奇想曲 Caprice héroïque 1898
- Op. 107 宗教的行進曲 ヘ長調 Marche religieuse in F major 1897
- Op. 108 舟歌 ヘ長調 Barcarolle 1897
- Op. 109 3つの前奏曲とフーガ 3 Preludes and Fugues 1898
- Op. 110 投げやりなワルツ 変ニ長調 Valse nonchalante 1898
- Op. 111 6つの練習曲 第2集 6 Études 1899
- Op. 112 弦楽四重奏曲第1番 ホ短調 String Quartet No. 1 in E minor 1899
- Op. 113 秋の歌 Chants d’automne 1899
- Op. 114 夜 La Nuit 1900
- Op. 115 天上の火 Le Feu céleste 1900
- Op. 116 ローラ Lala 1900
- Op. 117 戴冠式行進曲 ハ長調 Coronation March for Edward VII 1902
- Op. 118 夕べのロマンス Romance du soir 1902
- Op. 119 チェロ協奏曲第2番 ニ短調 Cello Concerto No. 2 in D Minor 1902
- Op. 120 悩ましげなワルツ Valse langoureuse 1903
- Op. 121 フランスに捧ぐ À la France 1903
- Op. 122 アンダルシア奇想曲 ト長調 Caprice andalous in G major 1904
- Op. 123 チェロソナタ第2番 ヘ長調 Cello Sonata No. 2 in F major 1905
- Op. 124 幻想曲 イ長調 Fantaisie 1907
- Op. 125 ナイル川の岸辺 Sur les bords du Nil 1908
- Op. 126 コルネイユの栄光 La Gloire de Corneille 1906
- Op. 127 主をほめたたえよ Laudate Dominum 1908
- Op. 128 ギーズ公の暗殺 L’Assassinat du Duc de Guise 1908
- Op. 129 朝 Le Matin 1908
- Op. 130 誓い La Foi 1908
- Op. 131 栄光 La Gloire 1911
- Op. 132 ミューズと詩人 La Muse et le Poète 1910
- Op. 133 祝典序曲 ヘ長調 Ouverture de fête 1910
- Op. 134 飛行士たちに捧ぐ Aux aviateurs 1911
- Op. 135 左手のための6つの練習曲 6 Études for the left hand 1912
- Op. 136 3部作 Tryptique 1912
- Op. 137 抗夫たちに捧ぐ Aux mineurs 1912
- Op. 138 春の讃歌 Hymne au printemps 1912
- Op. 139 愉快なワルツ Valse gaie 1913
- Op. 140 未完成のコミック・オペラのための序曲 ト長調 The Promised Land 1913
- Op. 141 2つの合唱曲 2 Chorales 1913
- Op. 142 労働への讃歌 Hymne au travail 1914
- Op. 143 エレジー ニ長調 Élégie No. 1 1915
- Op. 144 カヴァティーナ Cavatine in D-flat major 1915
- Op. 145 アヴェ・マリア Ave Maria 1914
- Op. 146 赤い灰 La Cendre rouge 1915
- Op. 147 汝はペテロなり Tu es Petrus 1914
- Op. 148 どれほど愛されているのだろう Quam Dilecta 1915
- Op. 149 主を讃えよ Laudate Dominum 1916
- Op. 150 7つの即興曲 7 Improvisations 1916-1917
- Op. 151 3つの合唱曲 3 Choeurs 1917
- Op. 152 勝利に向かって Vers la victoire 1918
- Op. 153 弦楽四重奏曲第2番 ト長調 String Quartet No. 2 in G major 1918
- Op. 154 演奏会用小品 ト長調 Morceau de concerto in G major 1918-1919
- Op. 155 連合国行進曲 Marche interalliée 1918
- Op. 156 糸杉と月桂樹 ニ短調 Cyprès et lauriers 1919
- Op. 157 幻想曲第3番 ハ長調 Fantaisie No. 3 in C major 1919
- Op. 158 祈り Prière 1919
- Op. 159 平和の讃歌 Hymne à la paix 1919
- Op. 160 エレジー第2番 ヘ長調 Élégie No. 2 1919
- Op. 161 6つのフーガ 6 Fugues 1920
- Op. 162 叙情小詩 ニ長調 Odelette 1920
- Op. 163 アルジェの学生に捧げる行進曲 Marche dédiée aux étudiants d’Alger 1921
- Op. 164 空の征服者たちへ Aux conquérants de l’air 1921
- Op. 165 春 Le Printemps 1921
- Op. 166 オーボエソナタ ニ長調 Oboe Sonata in D major 1921
- Op. 167 クラリネットソナタ 変ホ長調 Clarinet Sonata in E-flat major 1921
- Op. 168 ファゴットソナタ ト長調 Bassoon Sonata in G major 1921
- Op. 169 アルバムのページ Feuillet d’album 1921
作品番号なし
参考文献 | Bibliography
- Saint-Saëns, (Charles) Camille | Grove Music [https://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.24335]
- Saint-Saëns, (Charles) Camille | Grove Music [https://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.O904535]
- Camille Saint-Saëns (1835-1921) [https://www.musicologie.org/Biographies/saint_saens_c.html]
Notes