フェルナンド・ソル

フェルナンド・ソル

生 : 1778年2月13日(スペイン帝国、バルセロナ)/没 : 1839年7月10日(フランス王国、パリ)

フェルナンド・ソル (Fernando Sor) はスペイン出身の作曲家、ギタリスト。代表作に「モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲」、「大ソナタ ハ長調」などがある。

生涯 | Biography

スペインにおける前半生

フェルナンド・ソルは1778年2月13日、カタルーニャ地方のバルセロナで裕福な家庭に生まれ、翌14日に洗礼を受けた。少年時代から音楽への関心を示したソルは、モンセラット修道院の聖歌隊学校である「エスコラニア少年合唱団」で教育を受けた。父の死に伴い聖歌隊学校への在学が困難となったため、18歳から4年間、貴族の伝統に従いバルセロナの陸軍士官学校で訓練を受けた。

ソルは1799年マドリッドに移住し、1808年まで居住。同地やマラガ周辺で聖職に携わりながら音楽活動を続けた。ソルの最初のオペラ『カリプソ島のテレマコス』(Telemaco nell’isola di Calipso) は、1796年バルセロナのサンタ・クルズ劇場で初演、同じ劇場で続く2年間に15回上演と成功を収めた。

オペラ『カリプソ島のテレマコス』の成功はソルが裕福なパトロンに恵まれる要因をなした。続くオペラ『ドン・トラストゥリオ』(Don Trastulio) はマドリッドのアルバ公妃マリーア・カイエターナ・デ・シルバのために作られたが、公妃の早逝のため1802年に放棄された1)アルバ公妃は芸術家の庇護者として知られる人物で、画家フランシスコ・デ・ゴヤのパトロンにもなっている。。その後ソルはメディナセリ公に仕えながらメロドラマを書いた。

1808年、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍によるスペイン侵攻を受けて、国王カルロス4世は退位を余儀なくされた。続いて即位した子のフェルナンド7世もフランスによって廃位され、スペインはナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトの統治する所となった。これを受けて、ソルは対仏戦争に従軍、『勝者よ来たれ』(Venid, vencedores) 、『鉄鎖に繋がれ生きる』(Vivir sin cadenas) などといった愛国的な軍歌を作曲した。いずれも作詞はファン・バウティスタ・アリアザ。しかしながら1810年、ジョゼフ・ボナパルトがカディスを除くスペイン全土を支配すると、他の多くのスペイン知識層と同様にソルもフランスに下り、政府系のポストを得た。そのためフランスが1813年にスペインから撤退すると、ソルも亡命を余儀なくされ、二度と祖国の地を踏むことはなかった。

パリにおける活躍

亡命後、ソルはパリ、続いて1815年からロンドンに移住し、ギターの教育や演奏で生計を立てた。1822年、ソルは王立音楽アカデミーの名誉会員となる。ロンドンでは4つのバレエ曲が1821年から1823年にかけて演奏され、中でも1822年の『サンドリヨン』(シンデレラ)は大きな成功を収めた。その初日は著名な踊り子マリア・メルカンドッティ (Maria Mercandotti) の英国における最初の成功でもあった。『サンドリヨン』はパリのオペラ座で100回以上上演され、1823年モスクワのボリショイ劇場のオープニング演目に選ばれた。モスクワにおいてソルは上流社交界から好意的に受け入れられ、1825年の皇帝アレクサンドル1世崩御の際は葬送行進曲の作曲を依頼された。この曲は幻想曲第6番『告別』として、サンクト・ペテルブルクにおいて演奏された。その他にモスクワ、ベルリン、ワルシャワといったヨーロッパの諸都市で演奏活動を行っている。

こうして諸国を転々とした後、1826年にソルはパリへ戻り、モスクワ滞在中に構想した6つのギター曲を発表。1830年には『ギターのための方法』を出版するなど、同地で終生ギターの演奏や教育に専念した。当時のパリではフェルディナンド・カルッリやディオニシオ・アグアドといったヴィルトゥオーソ(巨匠)の活躍により、ギターの人気が上昇していた。パリにおいてソルはサン=トノレ街に居住し、スペイン亡命者と交流を続けたという。

ソルの晩年は幸福とは言えないものだった。1837年の夏に最愛の娘を亡くしたことは作曲家を悲観させた。二年後の1839年、ソルは舌癌により死去。パリのモンマルトル墓地に埋葬された2)位置は24区1番。

フェルナンド・ソルの墓

フェルナンド・ソルの業績はオペラやバレエ曲など多岐に渡るが、中でも彼の名を不朽としたのはギター曲によってである。ソルが生きていた当時ギターは高尚な楽器とは見なされず、オーケストラには相応しくないと考えられていた。しかしながらソルはこの固定観念に逆らい、彼の作曲した65のギター曲は現在でもクラシックギターのレパートリーの主要部分をなしている。ソルはギターをコード伴奏のみならず、主旋律のメロディにも起用した。その作風はハイドンやモーツァルトを参考にしたものであり、ベルギーの音楽評論家フランソワ=ジョゼフ・フェティスはソルをして「ギターのベートーヴェン」と呼んだ。

しかしながらソルの死後、彼の曲は散逸し、一時は忘却されてかけていた。再評価のきっかけを作ったのは20世紀を代表するスペインのギタリスト、アンドレス・セゴビアである。ソルの『ギターのための方法』は今日でもカルカッシと並んで初学者がまず手に取る教則本として普及している。

作品一覧 | Works

ギター曲

  • Op. 1 6つのディヴェルティメント 1813
  • Op. 2 6つのディヴェルティメント 1813
  • Op. 3 変奏曲とメヌエット 1816
  • Op. 4 幻想曲第2番 イ長調 1814
  • Op. 5 6つの小品 1814
  • Op. 6 12の練習曲 1815
  • Op. 7 幻想曲第2番 ハ長調 1814
  • Op. 8 6つのディヴェルティメント 1818
  • Op. 9 モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲 1821
  • Op. 10 幻想曲第3番 ヘ長調 1816
  • Op. 11 2つの変奏曲と12のメヌエット 1821
  • Op. 12 幻想曲第4番 ハ長調 1821
  • Op. 13 6つのディヴェルティメント 1819
  • Op. 14 グラン・ソロ ニ長調 1822
  • Op. 15a スペインのフォリアとメヌエット 1810/22
  • Op. 15b ソナタ ハ長調 1810/22
  • Op. 15c 変奏曲 ハ長調 1810/22
  • Op. 16 幻想曲第5番、あるいはパイジエッロによる『もはや私の心には感じない』の主題による変奏曲 1819
  • Op. 17 6つのワルツ 1823
  • Op. 18 6つのワルツ 1823
  • Op. 19 『魔笛』の主題による6つのアリア 1824
  • Op. 20 前奏曲および変奏曲 1824
  • Op. 21 幻想曲第6番『告別』 1825
  • Op. 22 グラン・ソナタ ハ長調 1825
  • Op. 23 ディヴェルティメント第5番 ニ長調 1825
  • Op. 24 8つの小品 1826
  • Op. 25 グラン・ソナタ ハ長調 1827
  • Op. 26 『もしも私が羊歯ならば』による変奏曲 1827
  • Op. 27 『粋な軽騎兵』による変奏曲 1827
  • Op. 28 『マールボロは戦場に行った』による変奏曲 1827
  • Op. 29 12の練習曲 1827
  • Op. 30 幻想曲と華麗なる変奏曲 1828
  • Op. 31 24の練習曲 1828
  • Op. 32 6つの小品 1828
  • Op. 33 3つの社交的小品 1828
  • Op. 34 ディヴェルティメント『励まし』 1828
  • Op. 35 24の練習曲 1828
  • Op. 36 3つの社交的小品 1828
  • Op. 37 セレナーデ ホ長調 1829
  • Op. 38 ディヴェルティメント ト長調 1829
  • Op. 39 6つのワルツ 1830
  • Op. 40 幻想曲と『美しいドゥーン川の岸辺』の変奏曲 1829
  • Op. 41 二人の友 1830
  • Op. 42 6つの小品 1830
  • Op. 43 6つのバガテル 1831
  • Op. 44a 24の練習曲 1831
  • Op. 44b 6つのワルツ 1831
  • Op. 45 6つの小品『やってみましょう』 1831
  • Op. 46 幻想曲『友情の思い出』 1831
  • Op. 47 6つの小品 1832
  • Op. 48 6つの小品『これでよろしいか』 1832
  • Op. 49 軍隊風ディヴェルティメント 1832
  • Op. 50 カプリソ『静けさ』 ト長調 1832
  • Op. 51 6つのワルツ『ついにやった』 1832
  • Op. 52 幻想曲 1832
  • Op. 53 第一歩 1833
  • Op. 54a 演奏会用小品 1832
  • Op. 54b 幻想曲 1833
  • Op. 55 3つの易しいデュエット 1833
  • Op. 56 ベルリン夜会の思い出 18??
  • Op. 57 6つのワルツとギャロップ 1834
  • Op. 58 易しい幻想曲 ハ短調 1835
  • Op. 59 悲歌的幻想曲 ホ長調 1836
  • Op. 60 25の練習曲 1837
  • Op. 61 3つの易しいデュエット 1837
  • Op. 62 ディヴェルティメント ホ長調 1837
  • Op. 63 ロシアの思い出 1837

オペラ

  • カリプソ島のテレマコス 1797
  • ドン・トラストゥリオ inc.

バレエ音楽

  • スミルナの市 1821
  • Le Seigneur généreux 1821
  • サンドリヨン 1822
  • アルフォンスとレオノール 1823
  • ヘラクレスとオンファレ 1826
  • シチリアーナ 1827
  • ハサンとカリフ 1828

参考文献 | Bibliography

  1. Brian Jeffery, Fernando Sor. Composer and Guitarist, London, 1977.
  2. Sor [Sors], (Joseph) Fernando (opera) | Grove Music [https://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.O904759]
  3. Sor [Sors], (Joseph) Fernando | Grove Music [https://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.26246]
  4. Fernando Sor | Spanish Romantic performer, composer, and teacher of guitar | Britannica.com [https://www.britannica.com/biography/Fernando-Sor]
  5. Fernando Sor biography – Tecla Editions [https://tecla.com/fernando-sor-life-and-music]

Notes   [ + ]

1. アルバ公妃は芸術家の庇護者として知られる人物で、画家フランシスコ・デ・ゴヤのパトロンにもなっている。
2. 位置は24区1番。
1988年生まれ。東京大学文学部卒業後、同大学院進学。現在はパリ社会科学高等研究院にて在外研究中。専門は近代フランス社会政策思想史。好きな作曲家はジャン・シベリウス。Doctorant à l'Ecole des hautes études en sciences sociales, ingenieur d'études. Histoire politique et culturelle.
Scroll to top