パリの生活

パリの生活

基本情報 | Data

  • 作曲 : ジャック・オッフェンバック
  • 台本 : リュドヴィク・アレヴィ、アンリ・メイヤック
  • ジャンル : オペレッタ
  • 言語 : フランス語
  • 初演 : 1866年10月31日、於パレ=ロワイヤル劇場(パリ)

 

登場人物 | Cast

  • 手袋屋ガブリエル(ソプラノ) : ジュルマ・ブファール
  • ブラジル人(テノール) : ジュール・ブラスール
  • 靴屋フリック(テノール) : ジュール・ブラスール
  • 使用人プロスペル(テノール) : ジュール・ブラスール
  • スウェーデン人ゴンドルマルク男爵(バリトン) : ヤシント
  • ゴンドルマルク男爵夫人(ソプラノ) : セリーヌ・モンタラン
  • 高級娼婦メテラ(メゾソプラノ) : オノリーヌ
  • 洒落者ボビネ(テノール) : ジル・ペレス
  • 洒落者ラウル・ド・ギャルドフー(テノール) : プリストン
  • 女中ポリーヌ(ソプラノ) : ポーレール
  • 使用人ユルバン(バリトン) : ラスシュ

あらすじ | Synopsis

第一幕

サン=ラザール駅クロード・モネ「サン=ラザール駅」(1877年)

物語は架空の駅である「パリ西駅1)1866年版ではモンパルナス駅、1873年版ではサン=ラザール駅がモデルとされている。」から幕を開ける。プラットホームでは二人の洒落者ボビネとギャルドフーが高級娼婦メテラの到着を待っていた。メテラはかつてギャルドフーと関係を持ったが、今やボビネも彼女を狙っていた。親友同士の二人は恋敵でもあったのだ。ところがノルマンディのリゾート地トゥルヴィルからの電車を降りたメテラは別の男を連れており、二人を見て素知らぬ顔をする。失恋にくれた二人はメテラを諦め、誰か他の女性を口説こうと、当時パリ有数の社交場として知られたブルヴァール・サン=ジェルマンに赴く。

ブルヴァールでギャルドフーはかつての従者であったジョゼフと偶然鉢合わせる。ジェゼフは今や一流ホテル「ル・グランド=オテル」の従業員になっており、スウェーデンからの観光客ゴンドルマルク男爵とその夫人を案内していた。夫人の美貌に惹かれたギャルドフーはジョゼフを言いくるめて案内人の役割を交代させ、彼女をものにしようと画策する。

一方その頃パリは外国人観光客が大挙して押し寄せていた。中には贅の限りを尽くそうとパリを訪れた金持ちのブラジル人もおり、繁華街は活況を呈しつつあった。

第二幕

1900年頃のル・グランド=オテル

案内人に扮したギャルドフーはゴンドルマルク男爵夫妻を欺き、「ル・グランド=オテルは満員につき別館へご案内いたします」などと称し、まんまと二人を自宅に案内する。そうとは気付かない田舎者の男爵は憧れの大都会を楽しもうと、一人繁華街へ散策に出かける。好色な男爵は夫人と二人きりの夕食では飽き足らず、あの娼婦メテラとのでアヴァンチュールを求めたのだ。

男爵が出かけると早速ギャルドフーは夫人をそそのかし、男爵と別の寝室に案内した上、友人たちの協力によりでっち上げた自らの晩餐会へと招待する。靴屋のフリックは陸軍少佐を、手袋屋のガブリエルは大佐の未亡人を装い、皆で陽気なヨーデルを歌いながら宴を盛り上げる。

第三幕

シャルル・モット「社交界の舞踏会」(1819年)

ギャルドフーの依頼を受けたボビネは、男爵を欺くために叔母の別荘を使い、偽物の仮面舞踏会の手はずを整える。スイス人将校に扮したボビネは女中ポリーヌに男爵を誘惑させる。鮮やかなドレスに身を包んだガブリエルが場を盛り上げ、ワインが滝のように注がれる。終いにボビネの衣服は破れ、招待客は皆踊りだす。テンポの速いフレンチ・カンカンにより宴は最高潮に達する。

第四幕

ギャルドフーは自宅に、すなわち偽物のル・グランド=オテル別館に戻ると、男爵夫人を二人で夕食に誘う。夫人はパリの景色を楽しみ、ギャルドフーの計画は成功するかに見えた。ところがその時、思いがけない来客がギャルドフーの自宅を訪れる。ボビネの叔母ケンペル=カデラック夫人とその娘フォル・ヴェルデュール夫人である。二人がパリを訪れてみると自宅が騒ぎになっているというので、何事かと様子を見に来たのだ。さらにケンペル=カデラック夫人は偶然にもゴンドルマルク男爵夫人の知り合いでもあった。ケンペル=カデラック夫人に部屋を用意するよう言われたギャルドフーは、その場しのぎに男爵の部屋を充てがう。そこへ仮面舞踏会での夜遊びを終えた男爵が酔いつぶれて帰ってくる。

第五幕

一方その頃、パリにある別の一流ホテル「オテル・アングレ」では、金持ちのブラジル人が贅の限りを尽くして仮面舞踏会を楽しんでいた。給仕長のアルフレッドは他の給仕たちを集め、これから起こることには目をつぶるよう命じる。舞踏会には娼婦メテラの姿もあった。舞踏会を訪れたゴンドルマルク男爵は彼女に言い寄るが、敢えなく断られてしまう。結局メテラはギャルドフーとよりを戻すことに決める。ゴンドルマルク男爵も夫人に詫び、今までの行いを許してもらう。それを見ていたブラジル人はガブリエルと一緒に、これまでの出来事すべてを指して「これがラ・ヴィ・パリジェンヌさ」と言ってパリの生活を祝福する。キャスト総出による華やかなフレンチ・カンカンで物語は大団円を迎える。

解説 | Description

『地獄のオルフェ』(1858)、『美しきエレーヌ』(1864) の成功以来、オッフェンバックはブッフ・パリジャン座を拠点として「オペラ・ブッフ」の確立による歌劇の革新に挑戦していた。現代的なオペレッタの誕生である。オッフェンバックが活躍したフランス第二帝政期 (1852-1870) は、皇帝ナポレオン3世の派手好みな性格と相まって、毎年8月15日の「皇帝祭」(La fête impériale) を筆頭に華やかな祝祭が催された。セーヌ県知事ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンの采配によってパリが近代的な街並みへと変貌を遂げたのもこの時期である。劇場やセルクル(社交クラブ)の並んだ大通り「グラン・ブルヴァール」をダンディ(洒落者)が闊歩し、名士たちの間では「クルティザンヌ」あるいは「ドゥミ=モンデーヌ」などと呼ばれる高級娼婦が社交界の華となった。

1867年6月10日、チュイルリ宮の夜会

オペレッタ『パリの生活』(La Vie parisienne) は1867年のパリ万国博覧会のシーズンに備えて制作された。工業化が進んだ19世紀中葉、ヨーロッパ全土における鉄道の普及によって遠隔地からの来客が見込めることとなり、彼らをターゲットにした娯楽・ショービジネスも発達した2)19世紀フランスにおける鉄道網の発達については次の文献を参照。北河大次郎『近代都市パリの誕生:鉄道・メトロ時代の熱狂』河出書房新社、2010年。。また各国の貴族や上流階級のためには、カピュシーヌ大通りの「ル・グランド=オテル」をはじめとした高級ホテルが銀行家の投資により造設された3)今日もインターコンチネンタルホテル傘下として営業を続けているル・グランド=オテルは1861年、銀行家ペレル兄弟の投資により実現した。イザークとエミールの二人はサン=シモン主義の経済思想に基づき、世界初の個人向け金融機関である「クレディ・モビリエ」(動産銀行)を設立、皇帝ナポレオン3世の支持と相まって、土建や鉄道などといった成長部門に対する積極的な投資を行い、国内産業の発展に貢献した。フランス第二帝政下の金融とサン=シモン主義については次の文献を参照。中川洋一郎『暴力なき社会主義?:フランス第二帝政下のクレディ・モビリエ』学文社、2004年。

こうした19世紀中葉におけるフランスの世相や時代状況はオペレッタの台本にも反映されている。その背景には、劇場支配人のフランシス・ド・プランケット (Francis de Plunkett) がオッフェンバックにパリ社会のカリカチュアを求めたこともあった。かくしてオッフェンバック唯一の現代劇『パリの生活』は観劇好きのフランス人のみならず、万博を目当てにパリを訪れた外国人観光客の目にも留まり、会期中を通して265日連続上演という当時としては記録的な成功を収めた。

『パリの生活』の台本は、オッフェンバック作品の常連であるリュドヴィク・アレヴィとアンリ・メイヤックによって書かれた4)アレヴィ家は文化人の一門として有名な家系。リュドヴィクの叔父ジャック・アレヴィはオッフェンバックに作曲を教えた張本人。またリュドヴィクの子エリー・アレヴィは『哲学的急進主義の成立』で知られる哲学者、エリーの弟ダニエル・アレヴィは『名望家の終焉』などで知られる歴史家である。。初演はオッフェンバックが本拠地を置いたモンシニ街のブッフ・パリジャン座ではなく、ナポレオン3世の住まうチュイルリ宮と高級住宅街であるフォブール・サン=トノレとの中間に所在するパレ=ロワイヤル劇場で行われた。1784年にオープンしたこの劇場には、オッフェンバックが贔屓にした歌手ジュルマ・ブファール (Zulma Bouffar) を含む実力派の役者や歌い手が所属していたためである5)1841年生まれのブファールはオッフェンバックの愛人でもあり、初演時に手袋屋ガブリエル役で出演している。

ジュルマ・ブファールナダールによるジュルマ・ブファールの肖像

オペレッタ『パリの生活』は当初5幕から構成されたが、1873年9月25日に上演された改訂版からは4幕となった6)ただし1961年サドラーズ・ウェルズ劇場(ロンドン)などのように5幕で上演される機会もある。。コミカルな楽曲や劇中の華やかなワルツやギャロップ、カンカンは、ユーモラスなストーリーと相まって、フランス第二帝政の陽気さ・活気の象徴とされる。『パリの生活』はオッフェンバックの代表作とされ、1938年マニュエル・ロザンタルによって編曲されたバレエ音楽『パリの喜び』(Gaîté parisienne) にも多くの曲目が収録された。

上演歴 | Discography

  • 1991 : 於リヨン・オペラ座/演出アラン・フランソン/指揮ジャン=イヴ・オソンス/リヨン国立歌劇場管弦楽団、リヨン国立歌劇場合唱団 [DVD]
  • 2007 : 於リヨン・オペラ座/演出ローラン・ペリー/指揮セバスティアン・ルーラン/リヨン国立歌劇場管弦楽団、リヨン国立歌劇場合唱団 [DVD]

参考文献 | Bibliography

  1. Jean-Claude Yon, Jacques Offenbach, Paris : Gallimard, 2000.
  2. Joël-Marie Fauquet (dir.), Dictionnaire de la musique en France au XIXe siècle, Paris : Fayard, 2003.
  3. Vie parisienne, La | Grove Music [https://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.O009631]
  4. Création de La Vie parisienne d’Offenbach (FranceArchives) [https://francearchives.fr/commemo/recueil-2016/38993]
  5. La Vie Parisienne – Opérette Théâtre Musical [http://www.operette-theatremusical.fr/2015/11/29/la-vie-parisienne]
  6. アンヌ・マルタン=フュジエ(前田清子ほか訳)『優雅な生活 : 「トゥ=パリ」、パリ社交集団の成立1815-1848』新評論、2001年。

References   [ + ]

1. 1866年版ではモンパルナス駅、1873年版ではサン=ラザール駅がモデルとされている。
2. 19世紀フランスにおける鉄道網の発達については次の文献を参照。北河大次郎『近代都市パリの誕生:鉄道・メトロ時代の熱狂』河出書房新社、2010年。
3. 今日もインターコンチネンタルホテル傘下として営業を続けているル・グランド=オテルは1861年、銀行家ペレル兄弟の投資により実現した。イザークとエミールの二人はサン=シモン主義の経済思想に基づき、世界初の個人向け金融機関である「クレディ・モビリエ」(動産銀行)を設立、皇帝ナポレオン3世の支持と相まって、土建や鉄道などといった成長部門に対する積極的な投資を行い、国内産業の発展に貢献した。フランス第二帝政下の金融とサン=シモン主義については次の文献を参照。中川洋一郎『暴力なき社会主義?:フランス第二帝政下のクレディ・モビリエ』学文社、2004年。
4. アレヴィ家は文化人の一門として有名な家系。リュドヴィクの叔父ジャック・アレヴィはオッフェンバックに作曲を教えた張本人。またリュドヴィクの子エリー・アレヴィは『哲学的急進主義の成立』で知られる哲学者、エリーの弟ダニエル・アレヴィは『名望家の終焉』などで知られる歴史家である。
5. 1841年生まれのブファールはオッフェンバックの愛人でもあり、初演時に手袋屋ガブリエル役で出演している。
6. ただし1961年サドラーズ・ウェルズ劇場(ロンドン)などのように5幕で上演される機会もある。
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