エリック・サティ

エリック・サティ

生 : 1866年5月17日(フランス帝国、オンフルール)/没 : 1925年7月1日(フランス共和国、パリ)

エリック・サティ (Erik Satie) はフランスの作曲家。代表作に『ジムノペディ』『グノシエンヌ』『ジュ・トゥ・ヴ』などがある。

生涯 | Biography

「コンセルヴァトワールで最も怠惰な生徒」

エリック・サティは1866年、ノルマンディー地方、カルヴァドス県の港町オンフルールにて、船舶解体業を営む父のアルフレッド・サティと、スコットランド系の血を引く母のジェーン・レスリー・アントンの長男として生まれた。毎日家から海を眺め、船の発する音を聞く少年時代だったという。1870年の普仏戦争を経て、父のアルフレッドは事業を売却し、一家はパリへと移り住んだ。

オンフルール19世紀のオンフルール

1872年、エリック・サティが6歳の時、母のジェーンが亡くなった。そのためエリックと弟のコンラッドはオンフルールの父方の祖父母のもとに預けられ、カトリックの影響の中で育てられた。サティは1874年より、ヴィノ (Vinot) という名の地元の教会のオルガン奏者から音楽のレッスンを受け始めた。このオルガニストの影響でサティはグレゴリオ聖歌を好むようになったという。

1878年の夏、祖母の死という悲劇に見舞われたサティは、パリに戻り父親のもとで教育を受ける。父アルフレッドはピアノ教師のウジェニー・バルネシュ (Eugénie Barnetche) と出会い、1879年1月に彼女と再婚する。この結婚は少年サティの望むものではなかったが、ウジェニーはサティをパリ音楽院(コンセルヴァトワール)の準備学級でエミール・デコンブによるピアノの授業を受けさせた。1879年11月のことだった。

サティはパリ音楽院で7年を過ごしたが、彼にとってこの経験は苦痛でしかなかった。デコンブは1881年、サティを「コンセルヴァトワールで最も怠惰な生徒」と評している。多くの教師がサティのピアニストとしての才能を認めたが、同時に彼の熱意の低さに苦言を呈した。1885年よりサティは継母ウジェニーの元教師であったジョルジュ・マティアス (Georges Mathias) よりピアノを習い始める。しかしながらマティアスもサティを「つまらない奴」と評した。後の1892年、サティは母校に対して次のような手紙を送っている。

子供だった私は、あなた方のクラスに入りました。私の心はとても柔らかかったため、あなた方はそれを理解できませんでした。私のやり方は花をも驚かしていました。〔…〕そして、私が若さの絶頂にいて機敏さを備えていたのに、あなた方の無理解のおかげで、私はあなた方が教えていた趣味の悪い芸術が大嫌いになりました1)cité par : Erik Satie, Correspondance presque complète, réunie et présentée, Paris : Fayard, 2000.

コンセルヴァトワール在学中、サティの最も親しい友人はスペイン生れの詩人パトリス・コンタミーヌ・ド・ラトゥールだった。ラトゥールの証言によると、サティは兵役期間を短縮するためだけにパリ音楽院への学籍登録を続けていたという。さらにサティは気管支炎に罹患し、結局彼は一年もせず除隊となった。療養中、サティはフロベールやペラダンの文学作品に親しんだ。

父アルフレッドは1883年に音楽出版社を創業し、息子が友人のラトゥールとともに制作した曲を出版した。しかしながら、父子の関係は次第に悪化してゆく。1887年、ついにサティは家元を離れることを決意する。

「エリック・サティ、職業はジムノペディスト」

家族からの独立を果たした21歳のサティはパリ・モンマルトルのアパルトマンに入居した。住所はコンドルセ街50番地。すぐ側では有名なキャバレー「黒猫(ル・シャ・ノワール)」が営業しており、間もなくサティはキャバレーの常連となる。

シャ・ノワールキャバレー「ル・シャ・ノワール」のポスター(1896年)

そんなある日、サティはラトゥールとともにル・シャ・ノワール支配人のロドルフ・サリに紹介される。有力な興行主の印象に残るようにと、無名の音楽青年は自らを次のように紹介した。「エリック・サティ、職業はジムノペディストです」。一年後の1888年春、サティは美しい3つのピアノ小品を作曲する。現在まで彼の代表作として知られる「ジムノペディ」である。

抑圧的な教育環境から解放されたサティは、モンマルトルのボヘミアンな生活を満喫した。作家ジュール・レヴィの創始した「支離滅裂」を意味する芸術運動「アンコエラン派」と関係し、作家アルフォンス・アレーのような新進気鋭の個性的な芸術家たちと交流した。シルクハットに長髪、フロックコートという彼特有のファッションが確立されたのもこの時期である。1890年までサティはル・シャ・ノワールでアンリ・リヴィエールによる影絵芝居のオーケストラを指揮した。

1891年、ロドルフ・サリと仲違いしたサティはル・シャ・ノワールを離れ、同じ界隈にある「オーベルジュ・デュ・クルー」という店でピアニストとして働き始めた。ここでサティはクロード・ドビュッシーと知り合いになる。ドビュッシーは少し変わったこの友人を「今世紀に迷い込んだ中世の優しい音楽家」と評した。以後二人は四半世紀にわたって親交を続けることになる。

1890年、サティはコンドルセ街を離れ、ビュット・モンマルトルのコルト街6番地に転居する。借金取りから逃れるため、というのがその名目だった。ここでサティは1891~1892年にかけて作家のジョゼファン・ペラダンと交友する。ペルシアの王「シャー」を自称するペラダンが主催する神秘主義的な芸術家集団「聖堂聖杯カトリック薔薇十字騎士団」において、サティは公認の作曲家となる。サティが初めて自作曲を披露する機会を得たのも、ペラダンによる「薔薇十字サロン」においてであった。

こうした「薔薇十字騎士団」との交流を通じて、サティは神秘主義やゴシック芸術への関心を強めてゆく。ペラダンによる『星たちの息子』では前奏曲を担当した。

しかしながら1892年8月、サティはペラダンと喧嘩別れしてしまう。1893年から1895年にかけて、サティは「指揮者イエスの芸術首都教会」(Église Métropolitaine d’Art de Jésus Conducteur) なる結社の創設者となる。「修道院付属聖堂」と称したコルト街のアパルトマンにて、サティはライバルの音楽家たちを酷評する文書を発行するなどの活動を行った。ただし、この結社の構成員はサティただ一人であった。

当時サティは芸術アカデミー会員に選出されるために3度立候補しているが、いずれも失敗に終わっている。私生活では1893年、モンマルトルの隣人であった画家のシュザンヌ・ヴァラドンと一時恋愛関係にあった。服装も「ベルベットの紳士」と称するスタイルに変更し、1895年に遺産の一部を使って7着の焦茶色の背広を新調した。ヴァラドンとの6ヶ月間の短く激しい関係が破局に終わった後、サティが女性と関係を持つことは二度となかった。

シュザンヌ・ヴァラドンシュザンヌ・ヴァラドンの肖像写真

この頃作曲した『貧者のミサ』は、サティにとって青年時代の神秘主義的な音楽スタイルを終わらせるものだった。それは彼にとって新しい様式の長い模索の始まりでもあった。

「君の年齢では、もう生まれ変わるのは難しい」

1898年の末、仕事に集中でき、また安く住める環境を求めたサティは、青年時代の住処であったモンマルトルを離れ、パリ南郊に位置するアルクイユに転居した。セーヌの支流であるビエーヴル川に面した労働者街、コシー通22番地にあるサティの自宅は広さ15平米、電気も水道も通っておらず、夏はビエーヴル川から湧く蚊に悩まされた。みすぼらしいその部屋に彼は誰を入れることも許さなかった。

サティはブルジョア風のファッションに身を包んで日々10キロメートルの道をパリ市内まで歩き、カフェを転々としながら作曲に勤しんだ。彼がアルクイユの自宅に帰るのは大抵モンパルナス駅から出る終電か、それよりも遅くなる場合は徒歩であった。サティは雨の日を好んだ。彼はコートの下に傘をしのばせ、また護身用の金槌も携帯していたのだった。

サティは生計を立てるため古巣であるモンマルトルのカフェ・コンセールへ趣き、俳優ヴァンサン・イスパの伴奏者として活動した。また「スロー・ワルツの女王」と呼ばれたシャンソン歌手ポーレット・ダルティのためにいくつかの曲を書き、商業的成功を収めた。今日までサティの代表作の一つとして親しまれている『ジュ・トゥ・ヴ』(あなたが欲しい)も、この時期ダルティのために書かれた曲である。

ジュ・トゥ・ヴ『ジュ・トゥ・ヴ』の楽譜の表紙(1904年)

サティは旧友のコンタミーヌ・ド・ラトゥールや漫画家のジュール・デパキ (Jules Dépaquit) とともにショービジネスの業界で働いた。この時期の小品『夢見る魚』では、当時流行していたミュージック・ホールの粋なスタイルをドビュッシー風の印象派の和声に合わせるという独自の様式を生み出した。

サティはさらなる様式の変革を求めて、1905年10月にスコラ・カントルムへ入学する。この時彼は既に39歳、親友のドビュッシーは「君の年齢ではもう生まれ変わるのは難しい」と言ったが、サティは1908年、アルベール・ルーセルの下で対位法の学位を取得し、また1912年までヴァンサン・ダンディによる作曲のクラスに出席した。

「現代的な感性を用いて古典の簡素さに回帰する」

サティの人生の転機は1911年1月に訪れた。モーリス・ラヴェルによる独立音楽協会のコンサートを聴いたサティは、印象派風の前衛的な和声技法に大きな衝撃を受ける。この時期ドビュッシーが『ジムノペディ』のオーケストラ編曲をパリのサル・ガヴォーで指揮し世間の評判となるが、自分の曲による友人の成功はサティを大いに嫉妬させたという。

1912年、有力な音楽出版業者であるウジェーヌ・デメ (Eugène Demets) がサティの『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』の出版に同意し、さらに追加で新曲の制作を依頼する。これによりサティはキャバレーでの演奏活動を引退し、作曲に専念できるようになった。

1914年、第一次世界大戦の勃発がサティの音楽活動を一時中断させる。しかしながら1916年、『3つの小品』の演奏を聴いた詩人のジャン・コクトーはサティの才能を評価し、バレエ『パラード』の制作チームに彼を招き入れる。台本コクトー、美術パブロ・ピカソ、振付レオニード・マシーンという当代一流の芸術家によるこの作品は、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスで1917年に初演され、大変なスキャンダルを呼ぶこととなった。

この出来事をきっかけにサティは劇伴音楽のジャンルで活動するようになる。ピカソやディアギレフとの交流も続け、また音楽家集団「フランス6人組」の庇護者ともなった。サティは1916年10月にポリニャック大公夫人の依頼を受けて『ソクラテス』の作曲を開始する。批評家ジャン・プーエー (Jean Poueigh) の起こした名誉毀損訴訟と相まって幾度かの中断をはさみながらも、『ソクラテス』は2年後の1918年に完成された。この曲はプラトン『対話篇』の哲学者ヴィクトール・クザンによる仏訳の抜粋を下敷きにしたもので、「現代的な感性を用いて古典の簡素さに回帰する」という作曲者の言葉が示すとおり、ストラヴィンスキーの前衛音楽に大きな影響を受けたものだった。

1920年、「6人組」の一人であるダリウス・ミヨーと『家具の音楽』と題する曲をギャルリー・バルバザンジュ (Galerie Barbazanges) にて披露した。この曲名は家具のように日常生活の背景に溶け込むようにデザインされた音楽を意味して付けられたものである。この年以降、サティは新聞や雑誌に文章を発表するようになる。1921年には前年に結成されたフランス共産党に加入し、またダダイズムの運動にも関わった。1922年2月にはモンパルナスのカフェ「クロズリー・デ・リラ」において、アンドレ・ブルトンを弾劾する公開集会を主催している。

クロズリー・デ・リラクロズリー・デ・リラ(1909年)

1923年、アンリ・クリケ=プレイエル、ロジェ・デゾルミエール、マクシム・ジャコブ、アンリ・ソーゲの4人の青年音楽家はサティの庇護を受け、彼の自宅にちなんで「アルクイユ楽派」を称し活動を行った。1924年にはピカソとマシーンのバレエ『メルキュール』やピカビアとボルランの『本日休演』などを作曲する。特に後者はルネ・クレールの短編映画『幕間』に使用され、サティ初の映画使用曲となった。ちなみにこの映画にはサティも出演している。

1925年2月、サティは過度の飲酒がたたって肝硬変および胸膜炎を発症し、入院を余儀なくされる。死期を悟ってもなお彼は自己を貫き、喧嘩別れしたかつての友人たちと会うことを最期まで拒んだ。遺品整理のため弟のコンラッド、ミヨー、デゾルミエールそしてロベール・カビーがアルクイユの部屋を訪ねた際、彼らは荷台2つ分のがらくたを運び出さねばならなかったという。サティの遺した手稿文書のうち、手紙の多くはコンラッドの家が火事にあった際に焼失してしまった。草稿と楽譜はミヨーによって保管された。

作品一覧 | Works

ピアノ曲

  • 1884 アレグロ Allegro
  • 1885 ワルツ=バレエ Valse-ballet
  • 1885 幻想ワルツ Fantaisie-valse
  • 1887 3つのサラバンド Trois Sarabandes
  • 1888 4つのオジーヴ Quatre Ogives
  • 1888 3つのジムノペディ Trois Gymnopédies
  • 1889 グノシエンヌ第5番 Gnossienne, No. 5
  • 1889 Chanson Hongroise
  • 1890 3つのグノシエンヌ Trois Gnossiennes
  • 1891 薔薇十字団の最初の思想 Première Pensée Rose+Croix
  • 1891 グノシエンヌ第4番 Gnossienne, No. 4
  • 1891 「至高存在」のライトモティーフ Leit-motiv de ‘Panthée’
  • 1891 「ビザンツの王子」前奏曲 Prélude du ‘Prince du Byzance’
  • 1891 「星たちの息子」前奏曲 Le Fils des étoiles
  • 1891 薔薇十字団の鐘の音 Trois Sonneries de la Rose+Croix
  • 1892 Fête donnée par des chevaliers normands en l’honneur d’une jeune demoiselle
  • 1892 ナザレ人の前奏曲 Prélude du Nazaréen
  • 1892 クリスマス Noël
  • 1893 エジナールの前奏曲 Eginhard Prélude
  • 1893 ゴチック舞曲 Danses Gothiques
  • 1893 ヴェクサシオン Vexations
  • 1893 祈り Prière
  • 1893 モデレ Modéré
  • 1894 天国の英雄的な門への前奏曲 Prélude de la porte héroïque du ciel
  • 1895 詩篇 Psaumes
  • 1897 グノシエンヌ第6番 Gnossienne, No. 6
  • 1897 舞踏への小序曲 Petite Ouverture à danser
  • 1897 愛撫 Caresse
  • 1897 冷たい小品 Pièces froides
  • 1899 びっくり箱 Jack-in-the-box
  • 1899 アリーヌ=ポルカ Aline-Polka
  • 1900 蝿氏の死への前奏曲 Prélude de La mort de Monsieur Mouche
  • 1900 世俗的で豪華な唱句 Verset laïque & somptueux
  • 1901 夢見る魚 The Dreamy Fish
  • 1901 金の粉 Poudre d’or
  • 1902 野蛮な歌 Chanson barbare
  • 1903 Trois Morceaux en forme de Poire
  • 1905 カリフォルニアの伝説 Légende Californienne
  • 1905 Exercices
  • 1905 Gambades
  • 1906 Padacale
  • 1906 フーガ=ワルツ Fugue-Valse
  • 1906 パッサカリア Passacaille
  • 1906 壁掛けとしての前奏曲 Prélude en tapisserie
  • 1907 新・冷たい小品集 Nouvelles ‘Piéces froides’
  • 1908 悪い手本 Fâcheux exemple
  • 1908 快い絶望 Désespoir agréable
  • 1909 小ソナタ Petite Sonate
  • 1909 2つの物 Deux Choses
  • 1909 Profondeur
  • 1909 Douze petits Chorals
  • 1909 バスクのメヌエット Menuet basque
  • 1909 不思議なコント作家 Le Conteur magique
  • 1909 Songe-creux
  • 1909 無口な囚人 Le Prisonnier maussade
  • 1909 大猿 Le Grand Singe
  • 1909 ピエロの夕食 Le Dîner de Pierrot
  • 1911 馬の装具で En Habit de cheval
  • 1912 Apercus désagréables
  • 1912 犬のための2つの前奏曲 Deux Préludes pour un chien
  • 1912 犬のためのぶよぶよとした前奏曲 Préludes flasques pour un chien
  • 1912 犬のためのぶよぶよとした本当の前奏曲 Véritables préludes flasques pour un chien
  • 1913 自動記述法 Descriptions automatiques
  • 1913 Croquis et agaceries d’un gros bonhomme en bois
  • 1913 Embryons desséchés
  • 1913 San Bernardo
  • 1913 Chapitres tournés en tous sens
  • 1913 Vieux sequins et vielles cuirasses
  • 1913 Trois Nouvelles Enfantines
  • 1913 Menus propos enfantins
  • 1913 Enfantillages pittoresques
  • 1913 Peccadilles importunes
  • 1913 Les Pantins dansent
  • 1914 Air
  • 1914 スポーツと気晴らし Sports et divertissements
  • 1914 世紀ごとの時間と瞬間の時間 Heures séculaires et instantanées
  • 1914 Obstacles venimeux
  • 1914 いやらしい気取り屋の3つの高雅なワルツ Les Trois Valses Distinguées du Précieux Dégoûté
  • 1915 皿の上の夢 Rêverie sur un plat
  • 1915 最後から2番目の思想 Avant-dernières pensées
  • 1916 L’Aurore aux doigts de rose
  • 1917 官僚的なソナチネ Sonatine bureaucratique
  • 1919 5つの夜想曲 Cinq Nocturnes
  • 1919 Petite Danse
  • 1919 Trois Petites Pièces montées
  • 1920 6e Nocturne
  • 1920 Musique d’ameublement
  • 1920 最初のメヌエット Premier Menuet
  • 1920 風変わりな美女 La Belle Excentrique
  • 1921 Motifs lumineux

管弦楽曲

  • 1886 Deux Quatuors
  • 1890 舞曲 Danse
  • 1893 ロクサーヌ Roxane
  • 1902 アンゴラの牛 The Angora Ox
  • 1906 愛の芽生え Pousse l’amour
  • 1915 La Mer est pleine d’eau: c’est à n’y rien comprendre
  • 1915 Cinq grimaces pour Le songe d’une nuit d’été
  • 1916 Fables de la Fontaine
  • 1917 Musique d’ameublement
  • 1919 Marche de Cocagne
  • 1921 Sonnerie pour reveiller le bon gros Roi des Singes
  • 1921 Alice au Pays de Merveilles
  • 1921 La Naissance de Vênus
  • 1921 Supercinéma
  • 1923 Suite d’Archi danses
  • 1923 Couleurs
  • 1923 Tenture de Cabinet préfectoral
  • 1924 Concurrence
  • 1924 Quadrille
  • 1924 Deux petites Choses
  • 1924 Mercure
  • 1924 Relâche
  • 1924 Cinema : entr’acte symphonique de Relache

室内楽曲

  • 1891 Salut Drapeau !
  • 1893 Bonjour Biqui, Bonjour!
  • 1899 Un Dîner à l’Elysée
  • 1899 Le Veuf
  • 1914 右と左に見えるもの Choses vues à droite et à gauche
  • 1917 シテール島への船出 Embarquement pour Cythère
  • 1923 再発見された像の娯楽 Divertissement La Statue retrouvée

歌曲

  • 1887 エレジー Elégie
  • 1887 3つの歌 Trois Mélodies
  • 1887 シャンソン Chanson
  • 1897 ジュ・トゥ・ヴ Je te veux
  • 1902 やさしく Tendrement
  • 1903 Le Picador est mort
  • 1903 Sorcière
  • 1903 Enfant martyre
  • 1903 Air fantôme
  • 1904 La Diva de l’Empire
  • 1904 Le Picadilly Marche
  • 1905 L’Omnibus automobile
  • 1905 お医者さんのところで Chez le docteur
  • 1905 オックスフォード帝国 Impérial-Oxford
  • 1905 いいとも、ショショット Allons-y Chochotte
  • 1906 中世の歌 Chanson médiévale
  • 1907 ランブイエ Rambouillet
  • 1907 Les Oiseaux
  • 1907 Marienbad
  • 1907 Psitt! Psitt!
  • 1909 シャツ La Chemise
  • 1909 Choeur d’adolescents
  • 1909 Dieu Credo rouge
  • 1914 3つの恋愛詩 Trois Poèmes d’amour
  • 1916 Trois Mélodies
  • 1917 戦いの前日 La Veille du combat
  • 1918 Socrate
  • 1920 Quatre Petites Mélodies
  • 1921 Le Roi de la Grande Ile
  • 1923 ポールとヴィルジニー Paul & Virginie
  • 1923 Ludions
  • 1923 Scènes Nouvelles pour Le médecin malgré lui

舞台作品

  • 1892 ユスピュ Uspud
  • 1899 ブラバン夫人のジュヌヴィエーヴ Geneviève de Brabant
  • 1913 メデューサの罠 Le Piège de Méduse
  • 1917 パラード Parade

宗教音楽

  • 1894 信仰のミサ Messe de la foi
  • 1895 貧者のミサ Messe des pauvres

参考文献 | Bibliography

  1. Satie, Erik | Grove Music [https://doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.40105]
  2. Erik Satie (1866-1925) [https://www.musicologie.org/Biographies/satie.html]
  3. Jerrold Seigel, Bohemian Paris : Culture, politics, and the boundaries of bourgeois life, 1830-1930, Baltimore ; London : Johns Hopkins University Press, 1999.
  4. エリック・サティ —— “沈黙”の作曲家(ル・モンド・ディプロマティーク日本語)[http://www.diplo.jp/articles16/1608-6lecompositeur.html]

Notes   [ + ]

1. cité par : Erik Satie, Correspondance presque complète, réunie et présentée, Paris : Fayard, 2000.
1988年生まれ。東京大学文学部卒業後、同大学院進学。現在はパリ社会科学高等研究院にて在外研究中。専門は近代フランス社会政策思想史。好きな作曲家はジャン・シベリウス。Doctorant à l'Ecole des hautes études en sciences sociales. Histoire politique et culturelle.
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